投稿者: Onfire Japan

「神のムーブメントを保つ」ビル・ジョンソン

「神のムーブメントを保つ」ビル・ジョンソン

ヘブル13:15、16節 神は「祭壇の上の捧げもの」の上に降りて来る。捧げものとは何か「くちびるの果実」と「善を行う事」と「交わり」がありますが、これを絶えず神に捧げる事は「神によろこばれるいけにえ」であり、私達は祭司として炎を祭壇の上に保つ為、祭壇に何かを捧げ続ける事ができます。 「ささげもの」は「犠牲を払う」事であり、選択であり、契約を神と結ぶ事である。時に、「自分の感情」では賛美したくない時にも、私は自分をしたがわせて神の言葉を宣言し、預言を読み、踊り、神を誉めたたえ、打ち破りを得ました。賛美は「捧げもの」なので「犠牲を払う」領域に入る。神の炎が下る為に自分を生きた捧げものとして生きるライフスタイル。

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「全ての領域での癒し」クリス・バロトン

「全ての領域での癒し」クリス・バロトン

ルカ17:12、3ヨハネ1:2 イエスは言葉だけで、病いを癒す事ができた。しかし、その他にも色々な方法で癒した。例えば、ツァラトを病む人に触れる事、これは感情的な癒しをもたらし(たましい)、また「祭司に見せなさい」といって彼らの霊的なルーツを癒した。 3ヨハネでは「たましいに幸いを得ている様に」すべての面で幸いであり、健康であれと言っている。それは「たましい」が私達をすべての幸いー繁栄、祝福に霊と体を導くための器官として創られている事であるが、「たましい/心」は霊的でないと宗教的な考えによって私達教会は長い事「霊」が成長することは学んで来たが「たましい/心/感情」を適切に取り扱う事をして来なかった。それで私達は「たましいの必要」、例えば健全な愛情表現や人々からの励ましなど教会の中で受け取る事ができずに、その他の不健康な所で受け取ろうとしている。霊とたましいと心、全ての領域で欠けた所が無い、それは「ホールネス/完全である」事であり、ソーゾー(sozo)である。

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「天国がくる時」ビル・ジョンソン

マタイ6章:「主の祈り」の中で「あなたの王国が来ます様に」「あなたの御心が天でおこなわれているように地でも行われます様に」と私達は祈りますが、この聖書箇所がギリシャ語の文法で正しければ「あなたの王国が来る!」「あなたの御心が天で行われているように、地でも行う!」と言うように私は言い換える事ができると思います。イエスが「人の子」としてした全ての事は、もし主が「神」としてそれを行ったなら、私自身は傍観者となる事でしょう。 しかし、イエス人としての制限の中で「父との関係の中」で全ての事を行い、イエスご自身の罪が無い状況も私達はイエスを信じる事で受け取ります。だから私は「傍観者」にはなる事はもうできないのです。イエスは普通のクリスチャンの基準です。イエスは祈りが聞かれない時にどうするか?は教えませんでした、聞かれない祈りは無いからです。祈りは人類と神とのフェローシップ、交わり、友情にあっての呼吸であり、会話です。私達は神の心を知り、神の心を動かす祈りをする事ができるのです。 YouTube で見れます: http://www.youtube.com/watch?v=ekpCmKgX3ZY

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「こんな日もあるよね」ダニー・シルク

「こんな日もあるよね」ダニー・シルク

私の息子と妻の経験が絵本になったのですが、その本を読みたいと思います。あらすじは「息子リーバイ」が「むしゃくしゃするような1日」の中で経験した「神様は僕を素敵に創ってくれて、僕の価値は良い事が一杯の日も、最低な1日でも変わらない」ってことなのですが。。こんな日、あなたもありませんか? 1日が1000年にも思えるような、苦難や試練の中にある時に、助けになる事は「自分がコントロールできなくて、苦闘している事柄」に目をむけるのではなく「神が今している事柄」に目を向ける事です。私達の問題は「忘れてしまう事」ですよね、だから教会にきますよね。神様が今してくれている事を3つ覚えて、誰かに話して下さい、それが5つや10になるまで、続けて下さい。そして、自分の周りにいる自分よりもっと多くの葛藤や苦闘の中にあり、助けや愛、励ましが必要な人達を捜して仕えて下さい。 彼らの1日も変えられ、あなたの1日も変えられます。

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「夢が成就するための鍵」ビル・ジョンソン

「夢が成就するための鍵」ビル・ジョンソン

ヨハネ15:15, 16:24 私達は「神と共に働き、創造する」事、同労者としての特権があります。状況に主を招き、御国をもたらします。地上で許可を与えるものは既に天においては許可されているものであるべきで、地上で縛るものは既に天におい縛られているものでるべきなのです。 全ての事は神の許可でおこるのではなく、ある事柄が起こるのは、人間が闇の力との契約に入る事で許可を与えているからです。しかし人はそれを神のせいにして、文句をいうのです。神の夢は人々が夢が成就する事で喜びで満たされる事ですが、私達が神の心を知り、神の夢を自身のものとして行く時に、神が私達の夢をもそのなかで成就される。聖書の人々は「夢を追いかける事」で成就したのではなく、油注ぎに誉れを与える事で夢が成就し、他の人の夢に仕える事で自分の夢が成就するのです。

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「油注ぎを認識する」エリック・ジョンソン

「油注ぎを認識する」エリック・ジョンソン

ヨハネ6章 ヨシュア3章 「油注ぎ」という言葉の意味は「神様の今されている事」という事もでき「油注ぎ」を認識して、取り扱いを選ぶ事が必要です。それは自分の立場が集会の参加者か、リーダー側かでも違ってきます。取り扱いを失敗する恐れによって「神のムーブメント」を過去に私達は止めてしまいましたが、イエスの方法は人々を集めるより、真理をかたり人々の反応がどのようでも、そのままにしておく事でした。 また、油注ぎを見分ける事で「自分がどれだけ関わるのか」も知る事になります。聖書の中の信仰の人々は、疑問を持ったかもしれないけどヨシュア、ダビデ、多くの人達が信仰によって油注ぎに従いました。「油注ぎ」は移動します、ヨシュア記ではイスラエルの民が「主が全てなされる」から「その満たしを受けるため民が動く」事に変わりました。私達は「慣れ」が罠になる事もあり、困難ですが、従う事が必要です。この原則があなたの人生の全分野で有効な事をいのります。

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「心の力を立て上げる」ビル・ジョンソン

「心の力を立て上げる」ビル・ジョンソン

箴言13:12、マタイ11;1〜3、詩篇19 「期待が長引くと心が病む」と箴言でありますが、私もそのように「失望や落胆」を持っていた時期がありました。ですから言いますが、クリスチャンが「落胆、失望」継続する事は本当に不必要です。自分が体験の中で学んだ事はこれです。自分たちの焦点、見ている所が「神のしている事」から「神のしていないこと」に移ってしまい、敵が語っている考え、視野に同意してしまう。しかし、神が見えない、聞こえない時でも「神の証し」を聞き、読む事、祈り心を持って黙想する事で心を強く立て上げる事ができる。神の証し、約束はいつも「招待状」であり、神が一度現した姿をもう一度あなたにも現す事ができる。

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「良い知らせ」ビル・ジョンソン

「良い知らせ」ビル・ジョンソン

ルカ1章、ヨブ22章:私達の上には力が置かれていますが、その力はメッセージにあります。良い知らせです。全ての人を神は神の側に招待している。言葉には力があります、神の言葉を私達が大胆に宣言する時に神がご自身の言葉に同意して、その宣言は神への招待状、神の入るドアになります。大胆な宣言によってどれくらい力が解放されるかが決まる事が多い。悔い改めは「神の悲しみ」により思いを変え、そして「天の王国」を見る事です。後悔は十分でなく、思いを変え神の御国を見る視野を持つ事。

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「必要対欲しい」ビル・ジョンソン

「必要対欲しい」ビル・ジョンソン

箴言13:12 マタイ6、7章 人間は失望や落胆の中に留まる様に創られたのではない。しかし神は私に全ての事を説明する訳ではないのです。理解を求めよと、御言葉で語っていますが、私達は「理解できること」を神に要求してしまうあまり、自分を閉じ込める事をしない様にしましょう。私には「理解を超えた平安」が必要なので理解する権利を委ねています。神の本質は私達神の民が「神と共に夢を見る事」で同労者となり、必要を満たしてもらう事だけでなく「夢/欲しい」事を神がもたらす事によってだけこの地上で表現される事があります、それは神の「父の心」です。欲しいものがなんでももらえるではなく、思いが新しくされ、神の願いを私達の願いにされる事で私の願いがかなえられる。

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「プランB」ビル・ジョンソン

「プランB」ビル・ジョンソン

箴言22:29. 23:1~3、ヘブル10:36 祈りは「神との会話」なので、祈った事が自分の願った時、または生きている時に成就しなくても無駄には決してならない。私は祈った事がすぐ起こる事を信じています、それは「今日が救いの日」だからです。しかしそれが「今日」ならないとには「明日」が「今日が救いの日」になると信じてまた祈ります。ですから祈った事がその時になる事をプランAとするならば、そのプランAがならない時にはプランB『祈る事を止めないで、祈り続ける」事を選びます。プランCの選択はありません。 また、「自分たちが直面している不可能な状況」への約束の言葉を得ることは私達の義務だと感じます。その事に対しての神の言葉を求めましょう、ただ、適当に聖書箇所をみて「これでいい」と思う事ではなく、神に求めて受け取る事を祈ります。神が昇級を与える方です、また王の前に出る時に彼らの富を欲しがるなら、影響力を失うのです。自分の富のために注ぎますか、それともあなたに与えられた影響、権威のある場所で神の栄光が輝くために注ぎますか?

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