投稿者: Onfire Japan

アイデンティティを求めて Searching For Identity

[English below] 「自分って何者?」 この疑問、現代を生きる私たちはよく自分自身に問いかけるのでは? 人間は遺伝子や細胞でつなぎ合わされた肉の塊で、進化を遂げて今に至ると考える人がほとんどだ。しかし実際は、ただの偶然や無秩序なんかじゃない。...

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「神にはライバルはいない」エリック・ジョンソン

God Has No Rival – Eric Johnson JAPANESE
同時通訳:相馬伸子

1列王記18章 

列王記や、歴代誌はイスラエルの国としての歴史を見ることができますが、王であるソロモンは、
イスラエルの黄金期を築いた王であり、最も繁栄し、平和をイスラエルの国が楽しんだ時でした。
しかし、彼の人生の終わりは、多くの異教徒の妻をめとったことで、彼も異教の神々を礼拝したので彼は分裂した人になりました。
箴言と伝道者の書は、ソロモンによってかかれましたが、箴言は神様の影響下にあり、正しい関係をソロモンが主と持って歩んだ時であり、
伝道者の書は、神と正しく歩まなかった時に書かれた本です。真逆とも言えるようなことを2つの本から見ることができます。

イスラエルの国もソロモンのように分断されました。イスラエルと、ユダ王国になりました。
ユダの国の王であったヨシャパテ王は、戦いに行く前に主をもとめ、賛美チームを軍隊の一番前に進ませました。ユダの意味は賛美ですが、彼らは「アイデンティティー」から
生きたので、自分たちの最もよくできることをしたのです。主がユダ王国のために勝利をもたらしました。

イスラエルの国のアハブ王とイザベルは非常に邪悪で、悪霊的、悪魔的な礼拝をイスラエルにもたらし、国全体が神に反することをしていました。
その中で、預言者エリヤが「対決、決闘」するのです。エリヤは、自分唯一の主の預言者として生き残ったと誤解はしていましたが、アハブ王に会い、
「コンテスト」を持ちかけます。

祭壇を二つ作り、バアルの預言者が祭壇に生贄を捧げ、そこに神の火が降れば、そちらが本当の神であるとすると言ったのです。
バアルの預言者たちが、いけにえを捧げ、血を流して礼拝している時に、「もし、何かが起こるかもしれない」ということはありえなくないことです。
モーセのいくつかの奇跡はエジプトの魔術師達も同じようなことをしてきました。
しかし、「自分だけ、たった一人」と信じていた預言者エリヤは信じられないような大胆さで挑戦をします。

そして、その後に民を壊れたイスラエルの祭壇に連れて行き、祭壇を回復して、〜とありますが、祭壇とは「礼拝」の場所であり、「聖別」する場所でもあります。
主の炎が降った時に民は「主こそ神です」と言いますが、民は間違った物を礼拝していたことがわかり、神が誰かを知りました。
私たちも、人生の危機や、チャレンジで間違ったことや、物を礼拝していないでしょうか? 

私達の世界観は「神の祭壇」から来たもので形造られる必要があります。神の臨在、影響によってです。
神の臨在、祭壇から来たものでない「意見や感情」を私達は解き放つべきではないのです。特にリーダー達は、そのチャレンジが大きいですが、
私の考えでなく、神の祭壇から見るしや、世界観を私達は語るのです。

日本語動画:https://youtu.be/-v8FJFaLg4k
英語音声:http://podcasts.ibethel.org/en/podcasts/god-has-no-rival
英語動画:http://www.bethel.tv/watch/4421/god-has-no-rival-sunday-am/2016/12/18

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「所属することの力」クリス・バロトン

Power of Belonging – Kris Vallotton JAPANESE
同時通訳:相馬伸子

1サムエル22:1〜2、2サムエル23:8〜23  イザヤ62、ヨハネ4 
「所属することの力」というテーマのメッセージですが、「自分を守らず、心を開くことの力」というブルネ ブラウンさんという 社会学の研究者の女性がTEDトークで話したことを引用したいと思います。 彼女は「聖書の原則」を「バビロンの言語」で話していると感じます。
彼女は「人類はコネクトするための創造されていることが、脳科学から立証されている」と言いました。コネクトするとは、「つながる」関わることですが、彼女はコネクトするために造られたと言ったのです。
地上に多くの人が、「自分の人生の目的は何?」と探していますが、それは進化論でアメーバーから何十億年あれば、人間になったと教えるように神様から切り離しては、「人間の目的」はありません。
私達は「つながる」為にできているのですが、それは「所属する」「一員となる」ということですが、現在の多くの国々では同棲している家族があり、結婚の契約を結びません。そのゆえに「名前がない、アイデンティティーに葛藤する」ことや、少年がギャングに加わったり、少女が性的な関係に入ってしまうことの原因になっています。

父なる神は聖霊様を先におくったのではなく「御子」イエスが送られて来ました、それは家族ということを私達が知るためにです 
所属する為に、家族の一員になるために造られた、私達なので、私達が所属していない時には「本来の姿ではない」のです。

人類の最大の恐れは「コネクト」するために差し出した手を拒否されることです。ですから、私達は拒絶を拒絶して「自分は誰の意見も気にしない」と言ってしまうのです。私達には「知ってほしい、認めてほしい」という願いと「周りにあっていたい、フィットした」という2つの願いがあります。それは、生ける石として神様が私達を見ているところであり、生けるレンガとは書かれていないところです。石は形や大きさが全て異なっています。そして、あなたという生ける石の入るべき場所は、「本当のあなた」の形にできていて、あなたが受け入れられるために、他のような人になっている時のあなたの形ではないのです。

ダビデ王の30人の勇士達がいますが、最初には「困窮したもの、負債のあるもの、不満のあるもの」達でしたが、のちには、「ダビデの勇士」と言われるようになりました、
それは、彼らが所属したからです。ダビデのグループの一員になったからです。

日本語動画:https://www.youtube.com/watch?v=udnHWNpqyBg
英語音声:https://www.acast.com/krisvallotton/the-power-of-belonging-part-1

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「打ち破りの年」ビル・ジョンソン

Year of Breakthrough – Bill Johnson JAPANESE

同時通訳:相馬伸子

イザヤ54章 
私は昨年、病気をしました。
食事も出来なくなり、入院して、点滴で生きている状態でした。それは、電車のレールのように急に自分の人生のコントロールが自分の手からなくなってしまったようでした。私達は自分がコントロールしていることがあると、まだ思っているのです。
病院のベットで、何も出来ず、恐れが来るような状況にありましたが、主の普通でないレベルの臨在と、全てを超える平安がありました。賛美をすることは、「いけにえ」であり、捧げもの、「犠牲」ですからそのような、まるで神様をほめたたえることが、難しいと思える時にこそ、賛美することは、普通なことなのです。

その時に私のしたことは私の人生に語られた主のことば、約束を読むことでした。その中には、健康の状態に関係のないこともありましたが、時には「将来がある」事を知ることがとても助けになる時があるのです。神の言葉を得ることは、とても重要です、聖書に書かれていることは、全ての信者がアクセスを持っていますが、私は自分の必要に応じたみ言葉を自分のものとするだけではなくその言葉を主に持っていき、聖霊様の息吹を吹きかけてもらうのです。自分の欲しいもののためにみ言葉を宣言する、告白するのではなく、主を敬うためです。
約束のものを受け取るには、信仰と忍耐です。静かな信頼の上に、大胆な信仰は建てられます。

2017年の為の聖句を求めましたが、イザヤ54章が与えられました。これから来る、祈りの答えのために、先に感謝をする、賛美をすることです。不妊の女に、「喜びさけべ、あなたのこれから生まれる子ども達は、自然的にすでに子どもを生んでいる女性達の子供達より多いからだ」と言っています。不妊のような時に、「喜びの叫びをあげて、賛美をする」ことは、超自然に「増加」をもたらします。また、子どもが生まれていない時に、子ども部屋を準備するようです。

今年は、いまだかつてなかったように、打ち破りを体験する年になります。

日本語動画:https://youtu.be/QMJ9_eQPfo4
英語動画(要登録):http://www.bethel.tv/watch/4442/the-year-of-breakthrough-sunday-am/2017/01/01
英語音声:http://podcasts.ibethel.org/en/podcasts/the-year-of-breakthrough

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「清さと力」ビル・ジョンソン

Purity and Power – Bill Johnson JAPANESE

同時通訳:相馬伸子

1コリント5、6章 
私達の教会は「愛」によって、知られることを私は望んでいます。清められていない憐れみは 憐れみではありません。時に人は「清められていない憐れみ」を用いてしまいます。「恵み」は罪を犯し続ける為の許可ではありません。恵は罪から私達が自由になる為の力です。神様から賜物です。

私が長年にわたって牧会的な働きをしてきた中で「苦味や恨み」を持ち続ける事、「幻覚や中毒をもたらすような薬」を使用する事、「性的な罪を継続する事」が人生に悪魔の働きのアクセスを作ってしまう非常に悪い結果をもたらす罪だとわかりました。

信者がよく「私を裁かないでください」ということがありますが、もちろん人は「有罪判決」を下すように、「裁く」ことはできませんが、信者は「自分たちを裁くこと」。それは「見極め、判断し、境界線を引く」ことをせよと1コリント5章で教えられています。自分の体に癌ができたらそれを無視する人はいないでしょう、「見極め、判断して、取り去って」くれる医者を探し、自分の体に死をもたらすものを残さないでしょう、そのように、教会でも、「見極め、判断し、境界線を引く」事をする事は必要です。

イエスは「決して罪を犯さない」清さの中をあゆみました、そして「力」がありました。私達にも両方が必要であり、求めつ続けています。イエスは私達が驚くような罪人達から愛され、彼らと一緒にいるだけで変化をもたらしました。例えばザアカイのように説教などする事なしに「盗んだ物は全て返し、財産の半分を捧げます」と彼の心は変わったのです。

イエスが、神の言葉は私達のスタンダードで、私達の文化や、思いで神の言葉を解釈して、理解する事は間違いです。私達は皆、それぞれが神のことばというスタンダードによって自分達の考え、人生観を神の言葉に合わせることをしているのです。
また、6章では兄弟達が、未信者が裁判官として働くところで告訴することに対しても言及しています。私は実際に兄弟達が問題を解決するために教会の長老の所に来たという事を見たことがありません。これでは、イエスの光を、福音を聞かなければならない人、未信者に対して、信者が福音を恥と感じさせるような事を結果している事ではないでしょうか。

私達の教会は、家族です。尖っている石が、砂と一緒に乾燥機のようなところで「研磨される」事を思ってください。私達も互いによって、こすられ、角が取れ、磨かれるのです。

日本語動画:https://youtu.be/JC06Dijtpp4
英語動画(要登録):http://www.bethel.tv/watch/4346/purity-power-sunday-pm/2016/11/20

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